Column |
2004.09.02
民主党の非民主主義 No.0009
- Masayoshi Fujita -

日本選手とりわけ女子選手の活躍が目立ったアテネ・オリンピックの余韻が冷
めやらぬなかで、いつの間にか民主党の代表選挙が行われ、岡田克也代表が無
投票で選出された。対立候補が誰も出ないために無投票で選挙が終わるという
ことはよくあることなのだが、どうも民主党の場合は釈然としない。

岡田代表で参議院選挙を勝ったからというのだが、菅直人前代表が辞めてから
の流れというのは、自民党顔負けの談合政治のようにも見えた。もちろん民主
党の中に自民党的な派閥が横行しているとは思わないが、小沢一郎さんと岡田
さんの代表職の押し付け合いは、支持者からすれば何とも情けない風景だった
のではないだろうか(自民党的な派閥というのは、政策ではなく金と人事を仕
切るグループのことである)。

急遽代表に就任した岡田さんで国政選挙に勝ったのは事実だが、おそらく岡田
さん「だから」勝ったのではない。むしろ自民党が小泉首相の「いろいろ」発
言で負けたのだ。率直にいって、岡田さんは今の段階では強いリーダーではな
い。国会が夏休みに入ってから、岡田さんはアメリカに行って、自衛隊の派遣
問題やら憲法問題でやや先走った議論を展開した。これについては、民主党内
部からも異論が出たと聞く。それではその後、党の方針をどうするか、内部で
十分に議論したのだろうか。いろいろなスケジュールを見るかぎり、そんな議
論をする暇はなかったように見える。

その意味で、民主党の代表選挙は、岡田さんの政治哲学と対立候補(それが誰
であっても)の政治哲学を戦わせるいい機会になったはずなのだ。小沢さんが
終わった後で、「政策論争がなかったのは残念」と語っていたが、それは有権
者が言うべき言葉であって、小沢さんが言うべき言葉ではない。もしそう思う
ならば政策論争を挑むべきなのである。

民主党が蹴落とそうとしている自民党の政治哲学がはっきりしているかといえ
ば、実はあいまいである。自由主義とか資本主義とかいうけれども、それだけ
ではもはや政党の性格づけとしては通用しない。なぜなら社会主義や共産主義
は「敵」として存在しないからだ。つまりイデオロギー対立の時代が終わっ
て、ますます自民党はあいまいな政党になってしまったと言える。

だからこそ民主党が党として何をめざすのかをはっきりさせてほしいと思う。
防衛政策だけではない。税金のあり方、社会福祉のあり方、それに経済政策の
あり方。それらをていねいに定義していくことで、民主党の性格が有権者に見
えてくるし、それによって日本の政治状況が進化する可能性が生まれるから
だ。

これまで民主党の性格がいま一つはっきりしなかったのは、菅前代表のある種
のポビュリズムに乗っかってきたからだ(ポピュリズムを乗り越えようとすれ
ば、一時的には支持率が落ちることが予想されるために、その状態を変えるの
は政党として勇気がいることである)。

遅くても、2007年秋には総選挙がある。次の総選挙によって政権獲得をめざす
というのが岡田代表の目標だ。しかしそこで政権を獲得しようと思ったら、民
主党はプチ自民党ではなく、はっきりとした目標を掲げた政党でなければなら
ないと思う。代表選挙を通じて公開討論などが行われれば、ある程度は一般の
有権者にも民主党内部で議論の道筋が見えるだろう。たとえば社会保障の今後
のあり方などは、国民の関心事なのだし、民主党内部でも議論の方向性が定
まっているとは思えない。責任ある政党、政権を担える政党とはそういうこと
なのだと改めて思う。1994年に発足した村山内閣を思い出せば、社会党がいか
に責任ある政党ではなかったか、よくわかる。

日本の政治が成長するいい機会がこの民主党の代表選挙だったと言っては、民
主党にとってちょっと荷が重いかもしれない。しかし次の選挙で政権奪取をめ
ざすというのは、そういう責任を背負うことでもある。それに激しい党内論争
は、政党を強くすることにもつながるだろう。議論で負けた側は、主導権を取
り戻すべくさらに勉強を重ねるからである。そうでなければ政党は進化しな
い。「ダメなものはダメ」というのは、それなりに潔いということは言えて
も、議論を進化させることにはまったくつながらなかった。民主党が社会党の
轍を踏む愚はおかさないと思うが、党内論争ができる機会にはできるだけそれ
をオープンでやるぐらいの勇気がいる。それこそが民主党の名に恥じない民主
主義であると思う。

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